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山里にたたずむ小さないやしの寺 宗安寺

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今月の言葉kotoba

今月の言葉

住職閑言は住職の掲示板です。増上寺ホームページの「今月の言葉」はこちら ――>

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謹賀新年
 檀信徒の皆様におかれましては、お健やかに新春をお迎えのことと存じます。また、宗安寺の護持興隆にご協力いただいておりますこと感謝申し上げます。 

 毎日の朝夕の勤行の中に、世の中の平安を祈る次のような経文があります。「天下和順 (国中すべてのものが和らぎ)日月清明(日や月が大空に輝き)風雨以時(時に応じて雨が降り、風が吹き)災歯s起(災害や疫病が発生せず)国豊民安(国や民は豊かに安らぎ)兵戈無用 (武器を行使せずに戦うことなく)崇徳興仁(人々は徳をあがめ、仁を興し)務修礼譲(礼儀と謙譲の道にいそしむ)という偈文(=祝聖文)です。

 この偈文から、考えさせられることが多くあります。「兵戈無用」について考えますと、世界は国際紛争が絶えず、国内でも、「敵基地攻撃能力」などといった物騒な言葉が日常的に使われるようになっています。
 法然上人は『逆修説法』の中で「衆生の宝はなによりも命を持って第一の宝とすべし」と命の大切さを言及されています。
 佛教の教えの原点は、その字の如く非戦であり、平和こそが、「天下和順」「国豊民安」の礎です。国内外を問わず、兵戈無用の社会であってほしいものです。




 画像1 2023年1月3日
謹賀新年
こだわらない心 とらわれない心   もっともっと仲よく、
   お念佛からはじまる幸せ″

 檀信徒の皆様におかれましては、お健やかに初春をお迎えのことと存じます。
 いまだコロナウイルスの感染状況はおさまらず、 ロシアのウクライナ侵攻など世界でも不安な情勢が続いています。新年を迎え、一日でも早く安心して生活できるように、明るく正しく仲よい世の中になるよう、念じています。
 昨年は当山開創400年、浄土宗開宗850年という世紀の節目を祝う記念法要を行いました。檀信徒の皆様方のお力添えに改めて感謝申し上げます。
 その法要の折に読み上げた表白(法要などの趣旨をしたためた導師の文章)を下記に記しました。古文調で表記されているので分かりにくいさはありますが、意をくみ取って頂ければ幸いです。

宗安寺開創四百年並びに
 浄土宗開宗八百五十年記念法要表白
 
謹んで、当寺開山深蓮社旭誉上人門貞大和尚並びに歴代住職諸上人の宝前に白す。
静かに惟(おもんみ)るに、歴代諸上人、宿世の因縁ありて、錫(しやく)を、この山里深き、浅川にとどめ、宗祖法然上人の正風を宣揚して、称仏化益(けやく)をあまねく四方(よも)に広め、つとに、檀信徒を導き給う。嗚呼、喜ばしい哉、有り難き哉。
年を経ること四百年、代替わること十三世、時に寺運の隆替(りゆうたい)ありと雖(いえど)も、法統綿々として今に至りて絶えず。常に慈雲を布(し)き、法施を演(の)ぶることは、一に是、歴代諸上人の余沢(よたく)ならずんばあらず。
今ここに、宗安寺開創四百年に当たり、いささか道場を荘厳し、如法の供儀を兼備するとともに、檀信徒一堂に集い、一心に掌を合わせ三業の誠を運び、果号を称揚し、恭しく一座の法会を啓建(けいこん)して、謹んで追恩の微典(みてん)に議し奉る。
伏して請(こ)い願わくば、あつむるところ
の功薫を以って、諸上人の法土を荘厳し、衆生の堂福を成就せんことを。
さらに請い願わくば、浄土宗開祖明照和順大師、当山住職諸上人、金色の蓮台よりこの道場に影臨して、慈鑑を垂れ、長(とこし)えに寺運を護念し、普く有縁を摂取し給わんことを、謹んで疏す。

※錫=僧侶が持ち歩く杖 
※称仏化益=念仏を称える利益 (りやく)
※三業=身,口,意(こころ)が行なった行為が果報をもたらすという意味。
※果号=阿弥陀仏の名号のこと。
※明照和順大師=法然上人 




画像1 2022年1月3日 

昨日も徒らに暮れぬ
今日もまた、虚しく明けぬ
これば法然上人のお言葉です。「法然上人行状絵図(=法然上人の生涯を絵巻した作品)」の中に示されています。 
「昨日も無駄に一日を暮らした。今日もまた一日が無駄に過ぎていく。」そんな明け暮れで良いはずがないではないかと法然上人は私たちに呼びかけ、この世の過ごし方はお念仏を申しやすいように過ごしなさいと説かれています。
新たな年を迎え、「あれも、これも」の誓いは無駄と思い定めて、ただ一つ、腹立つときでも、悔しいときでも、嬉しいときでも「南無阿弥陀仏」と称えられる自分になろうと定めた年明けです。

宗安寺副住職(林春慶)結婚式が行われる
  増上寺に勤務していた春慶が、静岡県三島市林光寺のご長女、林亜由美さんと縁を結び、昨年11月30日、大本山増上寺の大殿で結婚式を行いました。披露宴(東京会館)には檀信徒の代表として、総代世話人の方々にご参加いただきました。今後は静岡県の林光寺と宗安寺を兼務することになります。


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2021年1月3日 
今年こそ宗安寺開創400年記念行事を
昨年、コロナのために実施できなかった宗安寺開創400年記念。今年こそはと念じています。徳川二代将軍秀忠の時代、元和五(1619)年から今日まで、宗安寺の法灯は歴代の住職と檀信徒の皆様の力により守り続けられてきました。

宗安寺ともいき墓苑
・ペット同眠墓(可愛がってきた犬や猫と一緒に入れる墓)が昨秋仕上がりました。すでに完成している共同墓、自然葬墓(=樹木葬)合わせ、三種類の墓苑となります。名付け「宗安寺ともいき墓苑」としました。        














コロナに開け、コロナに終わった2020年の中での喜び
・核兵器の開発から使用まで一切を禁止する核兵器禁止条約の批准数が50カ国・地域に達し、今年1月22日に発効することが決まりました。その原動力になったのが国内外の粘り強い核廃絶署名運動です。私ども浄土宗でも取り組み、国内での「ヒバクシャ国際署名」は昨年末までに三千万筆近くが集まりました。しかしながら、核兵器よる唯一の被害国である日本政府は、批准を拒否しています。核兵器禁止条約に参加する政府を早く作りたいものです。  

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2020年1月26日

開創400年の宗安寺 2020年「寺院だより」抜粋
 山里にたたずむ、小さな小さな寺、宗安寺。「南無阿弥陀仏と唱えれば誰もが西方浄土に往生できる」と説かれた法然上人開祖の浄土宗の寺院です。
  山号「厭(おん)欣(ごん)山(さん)」は源信上人『往生要集』の冒頭の一文「「厭離穢(えんりえ)土(ど) 欣求浄土(ごんぐじようど)」をもとに命名されました。 開山は都留市谷村の西凉寺第二世旭誉門貞和尚(元和五=1619年)です。甲斐国史によれば宗安寺の創建は「同村黒部某」と記されています。
 明治23年に第十世一定和尚が亡くなった後、池上全学上人が第十一世として入山(没年月日不明)。全学上人亡き後、無住の宗安寺であったが、昭和14年に十二世春常和尚が入山し、現在の宗安寺へと法灯が守り続けられています。 今年がその開創400年という節目の年にあたります。その記念行事を今秋に行う予定です。

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2019年1月3日

世界一の長寿国 2019年「寺院だより」抜粋
 寺の周りで子供たちの声を聴くことができなくなってから、ずいぶんと経ちます。大月市の一年間に生まれる子どもの数はここ数年100人を下回っています。一方、平均寿命は延び、男女ともに80才を超え、全国で百歳を超える長寿者は約六万八千人(平成29年9月1日現在=厚労省発表)という世界一の長寿国となっています。
 日本人の平均寿命の年次推移を見ると、この60年間で男子は17.85才、女性は19.66才と驚くべき延びとなっています。男女差を見ると、昭和32年は4.36才、平成29年は6.17才です。いつの時代でも男性より女性が長生きです。その理由は、ある書物によると
@性ホルモンによる差異=女性ホルモンは高血圧や動脈硬化を防ぐ働きがあり、循環器疾患の発症を抑制する。
A基礎代謝量の差異=男性は筋肉量が多く、そのために基礎代謝量が大きく、エネルギー生産過程での副産物による細胞障害の割合が高い。
B社会環境の差異=男性は喫煙率が高く、社会的ストレスが多いとされ、女性は男性に比べて、健康的生活習慣、健康管理に関心が高いなどに起因するといいます。なるほどと納得させられました。
  日本の将来を危惧する一つとして「少子高齢化社会」という言葉が使われますが、子どもの出生率が下がれば高齢者の比率が高まるのは必然です。高齢化とは人々が長寿できることの反映であり、喜ぶべきことです。少子化の問題と同列に置くことに違和感を感じるのは私だけではないでしょう。いずれにしても、安心して子育てできる社会、高齢者も子供と共に地域に生きられる社会であってほしいものです。

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2018年1月8日

子どもだけでなく大人も… 2018年「寺院だより」抜粋

「こどもブッダのことば」[日本図書センター、1600円]という本があります。「世界一受けたい授業」で話題になった「24のブッダの言葉」を子ども向けに書き表した本です。監修は斉藤孝明治大教授。大人が読んでも人生訓として学べます。そのいくつかを紹介します。各引用の最初は「ブッダのことば」の日本語訳で、次が〈こども訳〉です。
●「まことでないものを、まことと見なし、まことであるものをまことでないと見なす人々はあやまった思いにとらわれて、ついに真実に達しない」〈都合のわるいことは見えにくい。都合のいいことは見えやすい。何が本当かみきわめよう〉
●善をなすのを急げ。悪から心を退けよ。善をなすのにのろのろしたら、こころは悪事をたのしむ」〈めんどうくさいがうまれるのはあっという間。よいと思ったことは、迷わずすぐにしよう〉
●「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことはない。怨みを捨ててこそ息む」〈「やられたらやり返す」には終わりがないよ。やり返さない勇気をもとう〉
●「以前に悪いことをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、その人はこの世の中を照らす。雲の離れた月のように」〈悪いことをしてしまっても、自分をきらいになってはいけないよ。よいことをつみ重ねて、うしなったものをとり戻そう〉
●「自己こそ自分の主(あるじ)である。他人がどうして自分の主であろうか。自分をよく整えたならば、得(え)難(がた)き主を得る」〈自分をきびしくできるのは、本当はきみだけだよ〉
●「人が生まれるときには、実に口の中に斧が生じている。人は悪口を語って、その斧によって自分自身を斬るのである」〈悪口は相手を傷つけるだけじぁない。自分自身を傷つけるよ〉
●「一切の形成されたものは苦しみである(一切皆苦)と、明らかな智慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる」〈「生きる」と「苦しい」セットだと知ること。それが幸せのスタートだよ〉
なかなか含蓄のある内容がつづられています。一家に一冊買い置きたい本です。

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2017年1月12日

法然上人の教えと現在

 「思想の革命家」と言われる法然上人が生きた時代は貴族社会(=平安時代)から武家社会(=鎌倉時代)へと移る転換期でした。飛鳥時代から連綿と続いてきた律令制度がガラガラと音を立てて壊れ、天災・人災に加え、親子・兄弟が敵味方に分かれて戦う戦乱(保元・平治の乱など)などが多く続いた時代でした。
 その混乱の極みの中で法然上人は「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えるだけで、善人はもとより、悪人も、誰でもが、すべて極楽に往生できるという 革新的新説=人間平等観をうち出しました。
とりわけ革新的なことは「貧窮困乏、愚鈍下智、少聞少見、破戒無戒」の庶民の誰でもが往生でき、「然(しかり)、則(すなわち)、女人はこれ本願の正機(救済・解放の本当の対象である)」と、遊女に至るまで等しく浄土往生ができると説かれたことです。 法然上人曰く
「もし、それ造像起塔をもって本願とせば、貧窮困乏の類は定んで往生の望を絶たむ。しかも富貴の者は少なく、貧賤の者は甚だ多し。もし、叡智高才をもって本願とせば、少聞少見の輩は定んで往生の望を絶たむ。しかも多聞の者は少なく、少聞の者は甚だ多し。もし、持戒持律をもって本願とせば、破戒無戒の人は定んで往生の望を絶たむ。しかも、持戒の者は少なく、破戒の者は甚だ多し」(選択本願念仏集)
 造像起塔の金を寄進することも、難しい学問や修業をすることも、守れるはずのない戒律にしばられることも、必要ないと説かれたのです。
法然上人は、自分の説を、「故に極悪最下の人の為に、極善最上の法を説くところなり」といいきり、底辺の民衆に対して、律令仏教では「救われない人々」「祝福されない人々」のために、仏教の門を開いたのです。
この思想は古代社会(=律令政治)の末期に、救済と解放を求め苦悶している庶民(奴隷、農民、女人、武士など)の切実な願いを反映したものです。吉水の庵で説く法然上人の新しい教えは、一般民衆に多くの反響をよびました。
 「私らのように、位も金も力もない者でも、ただ念仏するだけですくわれるのや」「…戦争や天災や、その日その日の暮らしの苦しさで、人の心まで荒れ果てた今の世の中で、真実人間らしい喜びを与えて下さるのが、あの吉水の念仏の教えや」(西光満吉、シナリオ『愛欲法難』より)」といったありさまであったことでしょう。
法然上人と弟子との問答に
「人を売り候も、罪にて候か」
「それも罪にて候」
 そんな一節(黒谷上人語燈禄)があります。奴隷売買が日常におこなわれ、常識上でも善であった時代、社会で、このように断言することは、その時代、社会への決定的な糾弾の言葉です。「思想の革命家」と言われるゆえんもそこにあるのでしょう。
  「南無阿弥陀仏」と称えれば、どのような人生を歩んできた人でも、間違いなく、阿弥陀様がすくい取って下さる……それが法然上人の教えのエッセンスです。「阿弥陀仏」とは「無量寿=限りない命」「無量光=限りない光」を持った仏様という意味です。南無阿弥陀仏と称えることは、この凡夫の自分、命限られた自分と限りない命が繋がり合い、限りない光となって生きていくことができる。だから、そこに心を置きなさい。法然上人はそうおっしゃるのです。
 今日の日本社会、物質的な豊かさと引き替えに、大切なものを失いつつあるように感じます。多くの方々が自ら命を絶ち、多くの方々が心を病んでいます。自分の思いが叶わないと、いとも簡単に人をあやめてしまいます。そんなニュースにあふれています。心と体がばらばらにされているように思えます。
 現代の苦悩深い私たちの前に、法然上人がこられたなら、「ただひたすら南無阿弥陀仏と称えなさい」とおっしゃるかどうか分かりませんが、念仏の「念」が「今の心」と書くように「今を大切にしなさい。そうすることが心と体を一つにして生きられる道であり、命限られた自分と限りない命が繋がり合い、限りない光となって生きていくことができる道ですよ」そんなふうにおしゃるかもしれません。

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2016年3月28日

ともいき共同墓ができました

 彼岸も過ぎ、柔らかな陽ざしにありがたさを感じるこの頃です。彼岸は梵語で【パーラミター:波羅密多】の漢訳【到彼岸:とうひがん】からきた言葉で、『迷いの世界から悟りの世界にいたる』という意味です。この彼岸やお盆、命日に人々は墓参りをします。
 仏教の教えの中に、人として生きる道として、布施(ふせ:人に施すこと)・持戒(じかい:戒め守る)・忍辱(にんにく:耐えること)・精進(しょうじん:努力すること)・禅定(ぜんじょう:心を落ち着けること)・知恵(ちえ:真理にもとづく考え方、行き方をする)の【六波羅蜜:ろくはらみつ】があります。
 今はなき人を思い起こしながら、花を手向け、手を合わるその姿は何とも美しく、穏やかです。なぜなのでしょう。どんなに語りかけても亡くなった人の声は帰ってきませんが、「頑張って生きています!」「夏にまた報告に来ます」などと語りかける姿や自分がいまあることの感謝の念を届ける姿が六波羅蜜の一つだからなのでしょう。
 さて、写真のように「ともいき共同墓」がこの彼岸にできあがりました。墓の継承が心配な方々や様々な事情で個人墓をもてない人々のための供養墓です。宗派は問いません。檀信徒を問わず利用できます。年に二度彼岸に合同慰霊祭を行う予定です。いま、利用規約を作成中です。 >

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2015年5月2日

葬儀は何のために、誰のためにするのか!

  近年、直葬や家族葬といった小さな葬儀が多くなっています。その背景について前号でふれましたが、過度な簡素化や小規模化は決して良いことだとは思えません。そこで、人々は、何のために、誰のために葬儀をするのか考えてみたいと思います。
 庶民が葬儀を行うようになったのは江戸時代からです。誰が家督を継承するのか、社会的に明らかにすることが葬儀の一つの重要な役割でした。葬儀で位牌を持つのは、その家の跡取り。そんな風習は今でも残っています。この、先祖代々(財産や墓)を守り継承することを重要視した、家父長制的イエ制度はすでに崩壊しています。それにもかかわらず、人々は葬儀を大事にしてきました。他に大切な意味があるからでしょう。
■死後の善き世界の願いと出会いへの感謝
 日本人の多くは、そう遠くない時代まで、こころを込めて弔うことで、死者を「あの世」、あるいは「極楽浄土」におくることができる。死は永遠の断絶ではなく、残された者もいずれは逝く世界に先立つことであり、いずれ又再会できる。そう願って葬儀を営んできました。 また、愛別離苦の涙のうちに、人の世の無常を観じ、亡き人をしのびつつ、故人の果たしてきたことに想いを寄せ、その出会いに感謝する。そんな場として、葬儀を大事にしてきました。「あの世」の存在を信じるかどうかは別として、最後の別離である葬儀を何よりも大切にすることが、人の道だと考えてきたからでしょう。
■葬儀は新たな生活への決意の契機
  親族にとっては、深い悲しみを乗り越えて、日常の暮らしを取り戻す。故人の遠くからの見守りと安寧を願いつつ、新たな営みをつくっていく。そのための契機にしていく。別の言い方をすると、生きて二度と会うことができない、絶対的別離としての葬儀をくぐることによって、人は死を受容し、故人の存在しない「新たな生活」を取り戻すことができる。その再出発を可能にするのが通過儀礼としての葬儀であると言うことです。
■直葬でも家族葬でもない「深縁葬」を…
死は避けて通ることはできません。そのとき、故人と縁を結んだ人々が集まり、故人を偲びながら、その出会いに感謝する。そこに、葬儀の大事な意味の一つがあるとすれば、 直葬や家族葬では、家族以外の人は「出会いへの感謝」を届けることができません。
 死は生きた証です。「ゼロ葬儀」などと言った言葉が生まれていますが、過度な簡素化は「死」の粗末化につながります。しっかり送り出したいものです。それが、亡き人を大切にすることであり、人の道です。

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2015年3月29日

なぜ、いま「小さな葬儀」が増えているのか!


近年、葬儀の簡素化、小規模化が急速に進んでいます。火葬だけで済ませる「直葬」や近親者だけの「家族葬」、通夜を省略して、葬儀・告別式だけをする「一日葬」などです。これらの「小さな葬儀」は都市部を中心に始まり、徐々に地方へと広がりを見せています。その背景はどこにあるのでしょう。
 まず、直葬をみてみましょう。直葬の広まる理由の一つは、「儀式的なことは一切しないでほしい」と望む人が増え、それがかなえやすくなっているところにあるようです。昔は、たとえ本人の希望であっても、親族の目や世間体を考えると実現しづらさがありました。しかし、いまや直葬が市民権を得るようになりました。直葬は、葬儀社にとって、利幅の少ない「避けたい仕事」でしたが、あえて他者との差別化を図り、「小さな葬儀」を売り物にする葬儀社が「直葬プラン」として広く宣伝するようになりました。その結果、新しい葬儀のあり方として一般化したからです。
 二つ目は、直葬を選ばざるを得ない人が多くなっていることです。直葬は数百万円かかる一般葬に比べ、はるかに安く行えます。「医療費の支払いのために葬儀費用が出せない」と言った切実な声が多くあり、貧困と格差の広がる中で、生活苦を強いられる高齢者や身寄りのない高齢者が、仕方なく直葬を選ぶケースです。
 三つ目は、都会に呼び寄せていたり、都会の病院に入院させたりしている親が亡くなったとき、取りあえず火葬だけをして、後日改めて親族、友人のいる故郷で葬儀を行うというケースです。本来はこのような火葬式が直葬(=密葬)のはじまりであり、後日、しっかりと弔うことが前提でした。また、最近では、火葬式(直葬)と通夜や葬儀に替わるお別れ会、あるいは、偲ぶ会を行い、故人への感謝を届けるケースも増えています。
 都市部の葬儀の3割、4割が直葬という現実はこれだけでは説明がつきません。上記の理由だけでなく、親子関係を含めた人間関係の希薄さ、ゆっくりと故人を送り出す時間的、精神的な余裕の無さ、死生観や死者への尊厳の軽さ、という今日の社会状況が直葬を選ぶ背景の一つになっているように思えます。
 もうひとつの「小さな葬儀」、家族葬。故人が高齢であり、知人も少なく、おのずと小規模な葬儀となる場合と「派手な葬儀はしたくない」「気心の知れた者だけで、ゆっくりと送りたい」という願いから選ぶ場合と二つのケースがあるようです。参加者の規模は5人〜30人程度。葬儀費用(宗教者への布施等は除く)は100万円を越えることが多いようです。「もっと安くできると思っていた」「さみだれ的に弔問客が家に訪れ大変だった」「親戚から叱られた」といった声を多く聞きます。
 一日葬が生まれた背景には、今日の労働環境が大きく影響しているようです。有給休暇もままならない中で、冠婚葬祭休暇が取り難い。そのために、通夜と葬儀・告別式を一日で済ますケースです。葬儀より会社の利益を優先する雰囲気があるのでしょう。
 葬儀の簡素化、小規模化は多くの人々が願っていたことです。しかし、過度な簡素化や小規模化は決して良いことではありません。死は生きた証です。その「死」を大切したいものです。

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2015年1月15日

死者へのむきあい

 ホームページのトラブルのためにこの住職閑言を一時中断していました。どうにか復帰できたので再開します。今回は私たちが避けて通ることのできない「死」について一緒にかんがえてみたいと思います。
 人は死ぬとどうなるか。難解かつ忌避したくなるテーマですが集約すればふた通りです。「何もかもなくなる」と考える人、「なくならない」と考える人、どちらかです。前者は、肉体が終わりを迎えるとき「こころ」も終わると考える完全消滅派。後者は、機能を停止した肉体は葬られるが霊魂やこころはあり続けると考える存続派です。
 あなたはどちらでしょう。
 確たる根拠があるわけではないが、あの世、来世があり、先に逝った人たちが待っていてくれ、再び会うことができると考える人…というより、そう想い願いたいという人たち。それは存続派ですが、霊魂の存在を本当に信じているのかと問われればそうすんなりとは肯首できないでしょう。左様に揺れ動くのが私たちです。
 もう何年も前に流行った「千の風になって」は後者の存続派です。原作者は諸説ありますが米国人のようです。異国の地(ユダヤ人迫害時代のドイツ)で亡くなる父を想い、ふさぎ込む同居人である友人に送った詩であると云われています。
 古代の中国人も同様に考えていました。儒教の教えでは人は精神と肉体からできていると…。精神をつかさどるものを魂(こん)といい、肉体をつかさどるものを魄(はく)と名付けました。魂の偏である「云」は雲の形です。魂は雲気となって浮遊する。魄の中の「白」は白骨化した頭蓋骨を意味しています。この魂と魄がひとつに結びついているときには人は生を営んでいる。やがて生が終わると魂と魄は分離すると考えました。 近代西洋の「千の風になって」と古代中国の「魂」。死者への想い願いはどこか共通しています。
 浮遊する魂を呼び戻し、よりつかせるところとして位牌や墓の原型が生まれてきました。現在仏教と深く関わるこの位牌や墓についてはインド仏教の教えの中にはありません。仏教が東アジアに広がった中で生まれたものです。その原点は儒教の教え「考」と深く結びついています。次回はそこにふれながら位牌や墓の歴史を探ってみたいと思います。
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  千の風になって  私のお墓の前で  泣かないでください  そこに私はいません   眠ってなんかいません  千の風に 千の風になってあの大きな空を  吹きわたっています  ……………………………………………………

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2014年8月2日

韓国訪問記

 七月の中旬に八王子アーラの会のメンバーと韓国を訪ねた。古代から深いつながりのある両国であるが、近年、関係が危うくなっている。旅行直前のニュースでは「反韓感情を持つ日本人は50%を超え、反日感情を持つ韓国人は70%を超えた」と報じていた。また、今年は、韓国併合100周年。そんな中での韓国訪問である。もしやトラブルが…。そんな心配もしたが、日本人であることが分かっても、韓国市民のまなざしは見知らぬ他者に出会った如く平穏であった。
 見学地は日本の植民地時代の独立運動家らを収監した「西大門刑務所博物館」、元日本軍慰安婦の方々が共同生活をしている「ナヌムの家」、朝鮮王朝時代の生活像を再現した「テーマパーク民族村」、ユネスコ世界文化遺産の「水源華城」などである。その間、現地の平和団体との交流会も行われた。また、現地で出会った方々に、世界に誇る日本国憲法「第九条」を韓国語で手渡すなど、ツアーの名称「平和と友好の旅 韓国4日間」、そのままの旅であった。
 韓国料理を満喫できたのもよかったが、日韓の歴史関係を熟知し、平和への熱い想いを持つ、現地ガイドのキム・スヨンさん、齋藤さんの案内が充実した旅の礎をつくってくれた。特に、「日清戦争も日露戦争も朝鮮をどの国が支配するのかの争いであった」「歴史を忘れてはならないが、こだわり続けてもいけない」というスヨンさんの話は印象的であった。
 ナヌムの家ではハルモニ(おばあちゃん)と交流するとともに、隣接する歴史館で齋藤さんの説明を受けた。「日本軍の慰安所は韓国、中国ばかりではなく、北は樺太・千島列島から、南は東チモール・ニューギニアまで、前線のすべてに置かれていた」「日本の植民地であった朝鮮や台湾では若くて健康な女性たちがターゲットとなった。多くは農村の貧しい家庭の娘たち。日本軍が駐屯する中国や東南アジアの広範囲に連れて行かれた」と…。
 日本では「河野談話」を否定し「強制連行はなかった」「慰安婦を連れて行ったのは業者だ」とする声が流布しているが、韓国では、ナヌムの家を平和学習のために小中学生や青年たちが多く訪ねてくるという。実際に、自然教室を終えた小学生が訪れ、司法試験を合格した検察候補生たちがいきいきと施設を清掃する姿を目にした。歴史教育の彼我の違いを目の前で再認識することとなった。
  この夏、朝鮮併合100周年を迎える。両国がその歴史的事実に真摯に向き合うことが何より大切だと思う。片方に、歴史にこだわり続ける国、もう片方に、歴史をなきものとする国では真の友好が生まれるはずもない。スヨンさんのいう「歴史の事実を忘れてはならないが、こだわり続けてもいけない」の言葉を肝に銘じたい。
 一言付言すれば、西大門刑務所博物館では、独立運動家らに対する取り調べの様子を再現しているが、あまりにも残虐な拷問シーンは撤去したという。青少年に対する教育的配慮である。日本人が訪れるのには勇気がいる記念館であるが、朝鮮併合時の事実を知るためには貴重な施設である。
(注)AALA(アーラ)とはアジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会の略称であり、非同盟諸国との友好と連帯を求める組織である。

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2014年7月2日

仏教の根本は非戦

 印度から中国に伝わった仏教。中国の古人はその根本を「非戦」にあると理解し、「佛」の字を創りだした。驚くほどの想像力である。それが朝鮮半島を経て日本へと伝わる。今からほぼ千五百年前である。
 聖徳太子がその佛教を国づくりの礎に据え、「17条の憲法」をつくったことはよく知るところである。後世の創作であるとの主張もあるが一項は次のように記されている。
【漢文】 一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。
【和訳】 一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。
 「君主や父親のいうことに従わなければならない」という所は、すでに人類が乗り越えた思想であるが、日本最初の憲法と現行憲法がともに「非戦」「不戦」という意味で共通している。興味深いところである。
 さて、その現行の平和憲法がいま危うくなっている。集団的自衛権はどの国も有する権利であるとして、「他国への武力」の行使を容認するというのである。これまで、行使できないとしてきた憲法解釈を転換させ、戦争のできる「普通の国」にするというのである。時の為政者の都合で、解釈改憲できるなら、何のための憲法なのかと聖徳太子のおしかりの声が聞こえてきそうである。
 諍いはいつの時代でも存在する。聖徳太子は、それを武力ではなく、協調、親睦で乗り越えようとした。時代背景は異なっても現行の平和憲法も同じである。
 憲法九条は平和に生きるための最大の抑止力。その平和憲法をもつこの国に生まれたことを誇りに思える時代がいつまでも続いて欲しいものである。
 ………憲法九条………
 1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。   …………………………………………………………………………………………………

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2014年5月20日

ともいきの会 いよいよスタート

 2年半をかけて準備を進めてきた「ともいき八王子」の設立総会が5月18日に行われました。会場となった八王子フォーラムの会議室は40名近い参加者でいっぱいとなりました。
 この会は高齢者の相互支援のための組織です。その発願は、清貧に生きてきた方々の不安のない老後をサポートしたい。会員と善意の業者、宗教者が手を結び、新しい葬送文化を創り出したい。会員相互のネットワークをつくり、共に支え合い生きる「共生(ともいき)」の組織をつくりたい。この3つです。端的には、高齢者がその最終コーナーをいきいき生き抜くとともに、自分らしい葬儀を生前に準備しておこうという会です。
 発足の起点は柿田睦夫氏の著書「現代葬儀考」に紹介された「大阪・やすらぎ支援の会」との出合いです。「『自分史』にふさわしい締めくくりを」「形式的でなく、自分らしく、簡素な葬儀を」…それが「やすらぎ支援の会」の呼びかけです。そんな会を東京でもつくりたいとスターとしたのが「ともいき八王子」です。その出合いから4年。「始めなければ、始まらない」という言葉がありますが、発願の一歩が成就しました。
  足元の大月を中心とする郡内でも「ともいきの会」を進めていこうといま共同者を探している所です。そんな願いが「大月市をよくしよう『市民の会新聞』」に掲載されました。ある大手のホームセンターの社長から「まったく同感」との電話を直々に頂きました。死は生きた証。その死が粗末化されてはならないと感じておられる方々には小さな波紋となったようです。
「終活」という言葉をよく目に耳にします。いまの日本社会は高齢者の生き難い時代です。「終活」なる言葉がはやるのもその反映のように思えます。葬儀は文化です。時代の転換期に大きな変化を作ってきました。昨今の葬儀事情の急速な変化は、いまが時代の転換期の中にある証左なのかも知れません。変化は混乱と創造を表裏に進みます。設立総会に多くの方々が参加したのも、そこを見定めようとする想いがあったからでしょう。

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2014年2月20日

歴史的大雪の中に「共生」…

 記録的大雪となった山梨。甲府ではこれまでの最高記録(49センチ)の倍以上となる114p。ここ大月でもそれを越える積雪となりました。国道20号と中央道が止まり多数の車が立ち往生しました。 行政も国道沿いの公民館を避難所とするなど対応しましたが、市民も手づくりのおにぎりを配る人、家に招き食事と暖を提供する人が何人もいたといいます。 3日間も陸の孤島になってしまった大月市。そんな中で善意があちこちで生まれたいたことを知り、心あたたまりました。 雪かきに難儀はしましたが、人は助け助けられ、支え支えられ生きているのだと改めて感じさせてくれた大雪でした。

廊下の高さ以上に積もった雪雪…

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2014年1月28日

NHK新会長の「慰安婦」発言


「慰安婦は日本だけがやっていたようにいわれるが、戦争をしているどこの国にもあった。欧州でもどこだってあった」「韓国は日本だけが強制連行したみたいにいうから話がややこしくなる。補償問題などは日韓条約で解決している」    この籾井氏発言には驚きました。「どこの国にもあった話だ。日本だけ批判される筋合いではない。」と言わんばかりです。歴史的事実とも異なります。具体的に名をあげられた国々から強い批判が生まれるのも当然です。
 これまで、旧日本軍の慰安婦問題を否定する人々は「自発的に応募した」「自由意志だった」「強制の証拠は存在していない」と主張してきました。その多くは、戦後の歴史観が自国の歴史の負の部分をことさら強調する「自虐史観」だとする人々です。安倍首相もその一人のようです。
「過去に目を閉ざすものは未来に盲目である」と述べたドイツ大統領ワイツゼッカー。敗戦から40周年の演説で「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けなければならない」と語りました。ドイツではナチスの大虐殺を子ども達に教科書で徹底して教え込むといいます。
 一方、日本では首相自身が「後世の歴史家が判断すべき」と侵略の歴史を認めず、教科書から慰安婦問題も侵略の文言も消そうとしています。秘密保護法の強行や集団的自衛権の問題。そして今回の発言。日本の明日の危うさを感じられてなりません。

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2013年12月6日

秘密保護法の強行採決の報道に思う

 昨日のNHK「ニュースウォッチ9」の報道には驚きました。秘密保護法の委員会強行採決の様子を伝えた後、取材した記者が登場。一通りの感想を述べた後、最後に次の様にコメントしたのです。「今後の政府のていねいな説明で国民の不安も少なくなると思われます」と…。ただただ唖然。開いた口がふさがらないというのはこういうことだと知らされました。
 秘密の中身の不透明さ。国民の知る権利との矛盾。第三者機関の実効性。どれ一つをとっても不明確なことばかりです。突然飛び出した「デモもテロ行為」なとどとなれば、国民の多くが捜査対象になり、その監視実態も「秘密」なってしまいます。人ごとではありません。これでは弾圧法となってしまいます。それらの問題を質すのが国会の責務です。法案を通してから「ていねいな説明」などあり得ません。
 今日の朝のテレビでは、強行採決に対する菅官房長官のコメントを報道していました。「今後、国民に対して丁寧に説明し、不安を取り除きたい」と…。NHK記者とうり二つです。国民の知る権利を背中に背負い、政府、行政の「秘密」をほり起こし報道する。それがジャーナリストの本懐のはずです。政府高官のコメントをそのまま垂れ流す報道は、過去の「大本営発表」と同じです。
 今回の秘密保護法。多くのジャーナリストも反対、廃案の声を上げていますが、その一方で、NHK「ニュースウォッチ9」の報道です。日本の民主主義を守り、発展させる、その重要性を担うジャーナリズムの衰退化が何とも気がかりです。

 
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2013年10月30日

縁が縁をよぶ

 今月はいつになく多くの来訪者がありました。
 前半は郡内年金者組合の女性部の皆さん(23名)。「なぜ、葬儀は簡素化・小規模化するのか」「葬儀は何のため、誰のために行うのか」をテーマに話をさせてもらいました。
 大月でも家族葬に特化した斎場が生まれています。また、都市部では直葬(火葬場だけの葬儀)が4割、5割と言われほどに広がっています。葬儀の簡素化、小規模化は人の死の粗末化につながる危険性を持っています。
 作家の高村薫氏はある新聞に「病死の場合でも、災害死の場合でも、一つひとつの死を受け止めることが非常に難しくなっているのが今の時代だと思う。死の座りが悪いということは、生の座りが悪いと言うことであり、充実して生きているという自信が失われているのだと思う。」と述べています。そんな記事を紹介しながら、「死の粗末化は今を生きる生そのものが粗末化されている反映だ。」と…。そんな話に、多くの参加者がうなづかれていました。
 後半には二組の八王子の方々が訪れました。一組はともいき八王子の会の皆さん(8名)。三年越しで進めている、エンデイング支援の会「第18回立ち上げ準備会」を行うためです。会員募集を本格的に行うためのパンフレットの検討や共同墓所について論議しました。もう一組(3人)は、八王子市から大月市に引っ越してきた古くからの友人を訪ねた帰りに、その友人とともにお寄り頂きました。
 年金組合の方々も、八王子の方々も、わが寺を訪れるのはほとんどが初めてです。この山里深い小寺に、さぞかし驚かれるだろうと思ったのですが、「静かなところですね。」「落ち着く本堂ですね。」と感想を口にしていました。
 それにしても、縁とは不思議なものです。年金者組合の方々は8月に行われた憲法学習会の講師をしたおり、スライドを通して寺の紹介をしたところ、一度、行ってみたいとのことで今回の来訪となりました。また、八王子の三人は「風」というすてきな居酒屋でご縁を頂いた方々であり、「ともいき八王子の会」に強い興味と関心を寄せられて来訪しました。  
 縁の不思議さ、有り難さを感じた10月です。

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2013年09月11日

2020東京オリンピック招致に思う

オリンピック招致を決める総会の実況中継。「完全にコントロールされている」との安倍首相の発言に、招致を望む一人として、本当にそうあってほしいとの思いと現実はどうなのかの疑問を感じながら見ていました。
 「収束」したという福島原発ですが、汚染水の流失の事実はそれを否定しています。がんとして「収束宣言」を拒否していた安倍総理。その発言をそのまま信用しなさいと言われても、どこか無理があるように思えます。今日のNHKの「クローズアップ現在」に報道された漁業関係者の怒りとも戸惑いとも言える声を聴くとその思いはさらに強くなります。
わたしは、今、日蓮宗隆泉寺住職 鈴木章方氏(山梨大学名誉教授)が主宰する「宗教者は原子力発電所の廃止を求めます」の署名運動にかかわり活動をしています。鈴木氏は、その署名運動の文書の冒頭で『東日本大震災によって発生した福島第一原子力発電所の事故は、原発と生きとし生けるものとは共存できないことを立証しました。私たち宗教者は、放射性廃棄物を必然的に蓄積させ、将来にわたって「いのち」を危機にさらし、子孫に負の遺産となる原子力発電所の廃止を求めます。』『拡散された放射性物質がどれほど生命に被害をもたらすのか、その影響がどれほど広域に及ぶのか、どれほど長期にわたるのか、計り知れません。』と訴えています。
東電の推計でも港湾内の水の約50%が一日で外洋の水と入れ替わっているといいます。汚染水の放射性物質の推定値が「大幅に基準値以下、あるいは検出できないぐらい少ない。」(管官房長官)というのは、逆にほとんどが外洋に流失したことを物語っているのではないのでしょうか。到底、「完全にコントロールされている」とは思うに思えません。

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2013年08月3日

アッツ島 玉砕に関わる報道(毎日テレビ 報道特集)見て

ミットウェー海戦で初めて甚大な被害を受けた日本軍。無人島のアッツ島を占領し大々的に戦勝を鼓舞。しかし、戦略的に全く意味のないアップ島。現地責任者は米軍の攻撃に食料、弾薬、兵員増強を本国に救援を求めるが、参謀本部はそれを無視。そればかりか、玉砕を指示。結果2600の兵士が玉砕することとなる。初めて、「玉砕」という言葉がこの戦いで使われることとなった。江戸時代もその後にもなかった思想である。初めて日本の歴史の中に生まれた思想である。参謀本部の誰かが生み出したものである。その後、様々な戦地で、同様な悲劇が生まれる原点となった戦いである。このアップ島の戦いを指示した参謀本部の作戦責任者は責任を問われずにいる。この無責任かつ兵士を無駄死にさせる体質は敗戦まで続くことになる。これが太平洋戦争の一つの実相である。


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